柴田勝家の兜が鎮めてある、三鷹市新川の「
勝淵神社」に行ってきました。
勝淵神社
勝淵神社は、
柴田勝家の孫となる
柴田勝重が、大阪夏の陣の後に、上仙川村(現新川)・中仙川村(現中原)付近を、支配地として受領し島屋敷に居住、祖父より与えられた兜を、水神の森に鎮めて社殿を建立し、勝淵明神社と号したといいます。
柴田勝家
境内には、兜を鎮めたであろう場所に、兜塚があります。
兜塚
兜を鎮めた場所は、「兜塚」と称し、神社縁りの史跡として保存されていましたが、戦後の一時期荒廃したため、これを憂えた氏子の熱意により、昭和63(1988)年、現在の兜塚が再建されたものです。
柴田勝家兜埋納伝承地
織田信長の重臣であった柴田勝家の兜が、孫の勝重によってこの地に埋納されたとの伝承を裏付ける史料は、天明5(1785)年の紀年銘がある柴田勝家位牌奉安添状(春清寺所蔵)をはじまりとします。この伝承は『新編武蔵国風土記稿』(文政11(1828)年編纂)にみられるように江戸時代を通じて継承されたものと考えられ、また少なくとも戦前までは口承によって伝えられていたことが、文献や聞き取り調査によって確認されています。
神社境域内に残される幟や絵馬などの奉納物は、この地が地域の祭礼の場であると同時に、柴田勝家兜埋納の伝承地として地域住民の崇敬の対象となっていたことを裏付けています。このように勝淵神社およびその境域は、柴田勝家の兜を埋めたという著名な伝承地であり、江戸時代以降上仙川村(現新川・中原地区の一部)の鎮守として、地域の厚い信仰を集め、また祭礼の場としての長い歴史を有しています。このため神社の境域全体が市域に残る稀有な伝承地として史跡に登録されました。
柴田勝家の「兜」埋納400年記念
ちなみに、今年2015年は、兜が埋納された1615年から400年経ち、
400年という記念の年です。
丸池わくわくまつり 2015
バナナの叩き売り
新川ばやし
境内の様子
また、当日は「丸池わくわくまつり」だったため、境内では炊き出しやバナナの叩き売りなどが開催されており、地域住民の人達で賑わっていました。